トップページ
 
 
 
 
  池尻の市杵嶋姫(いしきしまひめ)社北側を流れる昆陽井の下流側対岸に庚申塚がある。庚申 塚のさらに下流側の住宅間の敷地にこじんまりとした首塚の石碑がある。表には「池光院清風永 照居士菩提」、裏面には「昭和 45 年建立」と刻まれている。伊丹市内では数少ない義民伝説を伝 える石碑である。
 『伊丹の伝説 付有岡古続語』には以下の記述がある。「池尻は村を流れる昆陽井から取水する権 利を持たなかった。有る年旱魃で稲が枯れ死に寸前になり、或人が犠牲になる覚悟で首が入る程 の穴を掘り、井から水を取り入れた。この人は処刑されたが墓碑が昭和45年に建立された。これ により村は大いに助かった」。池尻は当初から昆陽井の井組に加わっており、取水の権利を持たな かったことはないので、この記述には疑問が残る。
 また社会科資料で「池尻小学校区の昔さがし」の一つとして首塚を取り上げている・・・江戸 時代初期に下池干拓に伴う水利の代替えを申請し許可されたが、申請した代表者が処刑されたと伝えられている義民の首塚です。・・・
 『伊丹古絵図集成(本編)伊丹資料叢書6』によると、昆陽下池の埋め立てに際して、昆陽 村・池尻村の両村(幕府領)を預かっていた片桐貞隆(大和小泉藩)は下池の水利の代替えとし て昆陽井を分水する措置をとったと記載されている。
 昆陽井を分水する案を片桐貞隆に申請した人々がおり、その代表者は処刑されたが、代替え案 は採用され、実行されたと解釈すれば矛盾はない。

(松田 記)
 
場所:池尻3丁目

 
目次